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テクノロジーが拓く未来の暮らし

Vol.115 環境負荷ゼロへ「CO₂バター」は食の未来をどう変える?

写真)バター(イメージ)

写真)バター(イメージ)
出典)Savor

まとめ
  • 「CO₂バター」は、食料・エネルギー・サステナビリティの課題解決に貢献する画期的な技術だが、普及には課題もある。
  • エネルギーコストの削減、各国の規制承認、長期的な安全性検証が不可欠。
  • 消費者への丁寧な説明と信頼構築が、社会の受容性を高める鍵となる。

現代社会は、気候変動、人口増加、そして資源の枯渇などの危機に直面している。特に、食料生産システムは、世界の温室効果ガス排出量の約25%を占め、地球温暖化の主要因の一つとなっている。国連の『世界人口推計2024年版:結果の概要』によると、世界の人口は、今後60年間で増加し、2024年の82億人から2080年代半ばには103億人でピークに達すると予測されており、人口増に見合った食料の増産が不可欠なのは言うまでもない。

こうした背景のもと、従来の農業や畜産に依存しない、持続可能な食料生産技術が喫緊の課題として浮上している。そこで、テクノロジーの力で食の未来を再定義しようとする「フードテック」が、新たなフロンティアとして急速に注目を集めている。

これまでも紹介してきた、代替肉昆虫食などのイノベーションは、単なる食の多様化を超え、地球環境と人類の生存をかけた挑戦ともいえる。(参考:地球環境に優しい「第3のミルク」と「代替肉」の可能性 2021.10.12、昆虫食は人類を救うのか?2023.05.02)

その「フードテック」最前線から、従来の常識を根底から覆すニュースが届いた。

米国カリフォルニア州サンノゼに拠点を置くスタートアップ企業で、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツが出資していることでも知られる、Savorが、動物も植物も使わず大気中のCO₂と水素を原料にした「バター」を開発したのだ。この革新的な技術は、食料とエネルギー、そしてサステナビリティという現代の3大課題を同時に解決する可能性を秘めている。

増えるバター需要

ここで、世界のバター需要の推移を見てみよう。

米市場調査会社のFortune Business Insightsによると、世界のバター市場は、消費者の間でパン、菓子、デザート、加工食品に対する需要が高まったことにより、世界中で大幅な成長を遂げている。市場規模は2023年に400億4,000万米ドル(約5.9兆円:1ドル=148円換算)に達し、予測期間(2024~2032年)において、2024年の416億7,000万米ドル(約6.2兆円)から2032年には581億6,000万米ドル(約8.6兆円)に拡大し、年平均成長率(CAGR)4.26%で成長すると予測している。

その主な要因は:

・新興国の需要増加: アジア太平洋地域が世界のバター市場の最大のシェア(2023年に38.64%)を占めており、特に中国やインドなどでは、中間所得層の増加、食生活の多様化、および洋菓子・外食産業の拡大が需要を牽引している。

・加工食品の需要増: ケーキやパン、クッキーといったベーカリー製品や、すぐに食べられる調理済み食品(Ready-to-eat meals)の需要が世界的に増加していることも、バター消費を押し上げている。

・健康志向: 一部の消費者の間で、加工された植物性油脂よりも天然の乳脂肪に対する嗜好が強まっていることも、バターの需要を支えている。

一方で、EUなどの一部地域では、健康志向の高まりから一人当たりの消費量が横ばいまたは減少傾向にあるとの指摘もある。また、世界的な牛乳の供給過剰や消費者の購買力低下が、価格の変動を引き起こす要因となる可能性も指摘されている。しかし、全体としては、新興国での需要拡大がこれを上回り、今後も市場は堅調な成長を続けると見られている。

空気から「バター」を生み出す錬金術

Savorの技術は、化学の世界では古くから知られる、主に石炭や天然ガスから生成される一酸化炭素を原料として合成燃料を作る技術、「フィッシャー・トロプシュ法」を応用したものだ。Savorによると、空気からバターを生成するプロセスは以下のとおりだ。

1 炭素と水素の結合:大気中の炭素と、水素を触媒の存在下で結合させ、脂肪酸の基礎となる炭化水素を生成する。

2 トリグリセリド(注1)の生成: 細胞内で起こる酵素反応のように、炭化水素から生成された脂肪酸とグリセロールを組み合わせて、植物や動物の脂肪の主成分であるトリグリセリドを生成する。

3 食用脂肪への調合: 最後に、生成されたトリグリセリドを調合し、脂肪や油に仕上げる。

この方法は、従来の畜産や農業に比べて土地や水をほとんど使用しないのが特徴だ。従来の畜産や農業によるバター生産は、広大な土地の開拓、飼料の生産、そして牛のゲップによるメタンガス排出など、環境に大きな負荷をかけていることは広く知られている。再生可能エネルギー由来の電力と水から精製したグリーン水素を利用すれば、この「CO₂バター」の生産プロセスは、理論的に温室効果ガスを排出しないことになる。

写真)Savorの油脂製造施設
写真)Savorの油脂製造施設

出典)Savor

「培養肉」との違いと、フードテックの潮流

さて、近年、食料危機や環境問題の解決策として注目されてきたフードテックの代表格は「培養肉」だ。今回紹介したSavorの化学合成バターと同じく環境にやさしい「持続可能な食品」に区分される。

しかし、培養肉は、動物から採取した細胞を培養して食肉組織を育てる生物学的な製法だ。一方、Savorの「CO₂バター」は、コストのかかる培養液を使用しなくて済むことに加え、動植物の細胞を一切必要としないため、倫理的懸念、心理的抵抗を回避することができる。また、脂肪というシンプルな分子構造を直接合成するため、生産コストの低減や大量生産へのスケールアップが比較的容易だと考えられている。この技術は、培養肉が切り拓いた食のフロンティアを、さらに一歩進めるものと言ってもよいだろう。

未来への課題と「フロンティア」への問い

しかし、この画期的な技術にも、いくつか課題はある。

・エネルギーコストの課題: CO₂と水素から脂肪を合成するプロセスにはエネルギーが必要となる。このエネルギーをいかにして再生可能エネルギーで賄うかが、その環境的優位性を保つために重要になる。また、現在はミシュラン星付きレストランなど、限られた市場での使用に留まっている。一般消費者向けに普及させるには、さらなる量産化とコストダウンが不可欠だ。

・食の安全性と規制: 「空気からできたバター」という全く新しい食品に対して、各国の規制当局がどのような判断を下すかは未知数だ。現在はまだ米国での販売が認められた段階であり、EUや日本での承認には時間がかかるだろう。また、長期的な安全性に対する検証も必要となる。

・社会の受容性: 最も根源的な課題は、消費者がこの商品を受け入れるかどうかだ。「CO₂バター」が「科学的に作られた」という事実に対する心理的抵抗は依然として存在する。Savorのようなフードテック企業は、単に味が良いことをアピールするのではなく、その技術が地球環境や社会にどう貢献するのかを丁寧に説明し、信頼を築くことが重要になる。

「CO₂バター」は、気候変動という地球規模の課題に対し、科学と技術が提示する一つの可能性だ。この技術が未来の食料生産にどのような影響を与えるか、今後の動向に注目したい。

  1. トリグリセリド
    肉や魚・食用油など食品中の脂質や、体内の脂質の大部分を占める物質。(出典:厚労省
安倍宏行 Hiroyuki Abe
安倍 宏行  /  Hiroyuki Abe
・日産自動車を経て、フジテレビ入社。報道局 政治経済部記者、ニューヨーク支局特派員・支局長、「ニュースジャパン」キャスター、経済部長、BSフジLIVE「プライムニュース」解説キャスターを務める。現在、オンラインメディア「Japan In-depth」編集長。著書に「絶望のテレビ報道」(PHP研究所)。
株式会社 安倍宏行|Abe, Inc.|ジャーナリスト・安倍宏行の公式ホームページ
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IoT、AI・・・あらゆるものがインターネットにつながっている社会の到来。そして人工知能が新たな産業革命を引き起こす。そしてその波はエネルギーの世界にも。劇的に変わる私たちの暮らしを様々な角度から分析する。